SPACE ANTENNA SEVEN

フリーランスナレーター&DJ nanakoのブログです。

6年たちました。ジョンヒョンのこと。

12月18日(月)
6年経って、同じ曜日が巡ってきて

あの日のあの時を追っていました。


公式から0時丁度に、ジョンヒョンへの祈りが捧げられたけど。
今の時間はジョンヒョンは生きているんだよな。

何を考えていたんだろう。
長い夜だったのかな、とか詮無きことを考えていました。

あの日行かないでほしいと願った、すべての気持ちを思い出します。

ぽっかり穴が空いたような、喪失感をずっとそばにかんじながら6年も生きたよ。ジョンヒョン。
 
月曜担当DJの私は、あのとき放送後にあらましを知ったけど、放送中に知っていたらどうなっていたのだろう。

 

放送終わりに知って頭が文字通り真っ白になって、買い物を中断して無意識に電車に乗ったこと、シャヲルの友達から連絡が来て、急遽合流して飲んだこと。
「お騒がせボーイだからちゃんと戻ってきてくれるよ」と励まし合って別れたこと。
帰りの電車でずっと願っていたこと。

最寄り駅で、マリミュのバッグを持っている女の子をみかけて、食い入るようスマホも見つめながら歩いていて声をかけたくてたまらなかったけど、かける言葉なく帰路についたこと。

病院の前でReplay歌ってたな、とか。公式から発表があったな、とか。寝ないで仕事いったな、とか。

あの日の全世界のシャヲルたちの悲しみと、わずかな希望がいりまじったタイムライン。
現実にジョンヒョンは私たちのことをシャヲルというファンダムでしかしらないからこそ、ファン同士のつながりが本当に生命線のように感じていました。

 

自分はちょっと特殊な家庭環境で、大声で泣いたり、喚いたりする子供時代を送っていないので、声をあげて泣くということはジョンヒョンがくれた体験です。

 

間欠泉のように突如湧き出す涙に振り回されながらなんとか仕事をこなし、週末23日に日帰りで会いに行くつもりが、飛行機が飛ばず。仁川に到着したのが24日。
帰りの飛行機も悪天候で飛ばず、空港ではオマゴルちゃんが歌っていました。
なんだかんだで成田についたのが25日深夜。

 

月曜の生放送に間に合わないかも!と韓国からラインでピンチヒッターの段取りをつけたり涙が引っ込むくらいてんやわんやだった・・・。

 

そんなこんなで18日からあっという間に1週間たってしまった。
そして6年たったんだなあ。

 

悲しみは、当時に比べたら靄がかかったように感じるけど。
ジョンヒョンといた時間を証明するようにずっと側にあります。


今もあいかわらず、毎日毎日SHINeeが好きなことを再確認しながら、誇らしい気持ちで生きています。

ジョンヒョンにいつか会えたらほめてもらいましょうね。

 

ジョンヒョン、SHINee、みなさまメリークリスマス。

"늘 당신을 사랑합니다"

ピョルマダン図書館

 

12/18(月)の私の担当番組「GOGOひるず」では、

JonghyunのソロデビューアルバムBASEをはじめ、SHINee全員のソロデビューアルバムから一曲づつお届けしました😊

Crazy (Guilty Pleasure)[feat.IRON]/JONGHYUN
ACE/TAEMIN
CHASE/MINHO
One of Those Nights(feat.Crush)    /KEY
Sign/ONEW

 

以下思い出アルバム📚

深夜2時近くなのに空港人多すぎ。全員遅延で無理やり着陸した組。

 

ジョンヒョンのパネルに絶対付箋貼るという強い意志。

 


そんなとこにどうやって貼ったんだ・・・

 

パワーの時でしたっけ。

仁川空港で見たオマゴルちゃん

 

ここからは荒唐無稽な私の夢の話です。
命日のちょっと前にまた夢を見ました。

ジョンヒョンがいて、そこにはキー君やテミンもいたんだけど。
ジョンヒョンは役目があって先に旅立ったから、心配しないでほしい。という話でした。
現世での役目じゃなくて、私たちが本来帰る世界で役目ができて、急にいかなくてはいけなくなった。みたいなニュアンスだったと思う。

じゃあ私たちは悲しむ必要はないの?と聞いたら、
それは人生の経験として必要だから、ちゃんと悲しむ必要がある、とのこと笑

でも、5人の中でジョンヒョンだけが先に行った理由は、ちゃんと5人に関係していて理由があるから、心配しないでほしい。いつかみんなにもわかる。そう言っていました。

ただの夢ですけど。
不思議な夢だったので。