りょうきじ
“正しい”アクセント 誰が決める?
喋りを生業とするかたがたのコミュニティーでも話題になっているようです。
文研の塩田雄大主任研究員の
「正しいアクセントは一つじゃなく、幅があるもの」
というお言葉に尽きると思います。
NHKに日々寄せられるアクセント、言葉へのご意見、
「現代のアクセントが乱れきっている」
乱れているのではなく、自分たちがすごしてきた地域、世代で主流としていたものから移り変わって来ているのです。
そのことへのリアリティが薄いのはわからないのでもないのですが…。
もとより正しいアクセントも、正しい日本語も地域や時代によって変わるもので
アクセントではないですが
「あたらしい」は「あらたしい」が読みやすく変化したものですし
「さようなら」は「左様ならば」が語源ですし
「もしもし」は「申します、申します」です。
さらに逸れますが昔の人は使い分けていた「ヂ」と「ジ」の違いなんてのもあるそうです。
これらの変化を乱れというなら、日本語は乱れてナンボ、という気すらします
いや、乱れる、ではなく育つ、と言って欲しいです笑
そもそもアクセント辞典に掲載されているアクセントも
東京における多数派を「正しい」という設定の上で作ったものですし。
DJだと滅多にないですが、ナレーションをやっていると、「アクセント確認しまーす!」という事はよくあります。
宇宙関係のワードだと、辞書には載っていないけど天文の世界では定番のアクセントもあります(専門用語はそういうもんだとおもいますが)
このように、現場によってアクセントの正否が異なることもあります。
ただ、ナレーターもDJも言葉を扱う専門職ですから、
今の時代ではこのようなアクセントが許容されているけど、すこし前の時代だと意味が通じない、また辞典に掲載されているアクセントではこう書かれている
など「自分が使っているアクセントはどういうものなのか」を知る、ある程度の知識は必要だと思います。やはり。
分かった上で、求められたものに従う、時には意見を言うことも重要と考えます。
ただし「正しいこと」がいつも正解ではないはずです。
「言葉は生もの」とも言います。
日々変化していく言葉を扱うには「時代の流れに乗る」ことが必要不可欠です。
この先多くの人が英語などの他国語を使うことが当たり前になったらさらにアクセントは変化していくと考えられます。
そういった中でお年寄り、視覚障害者はどうしても不利だと思います。この課題は無視できませんが、そのために「正しいアクセント」を狭義で設定するよりかは、
流れついていけるようなコミュニケーションが必要とされるのでは、と思います。
メディアはそのように使われて欲しいと思います。
多くの人が置いてけぼりになりにくい、フレキシブルな日本語が育っていくことを望んでいます。
文研の「あなたは多数派?少数派?」のアンケート面白いです。